THE Guilded Crown


 1999年4月、コロラド州デンバー近郊のコロンバイン高校で2人の生徒が起こした銃乱射事件はアメリカ合州国のみならず、世界中の耳目を驚かしたことで記憶に新しいだろう。13人が銃に撃たれて死亡し、多くの高校生が重軽傷を負ったこの事件で犯人の高校生は次のような脅し文句を言ったという。

「有色人種とスポーツをやってる奴は全て殺してやる」

 言うまでもなく、アメリカの高校までの大多数の公的教育機関では人種が偏らないように児童生徒を乗せて「均等に」配置された学校までスクールバスで送迎する方策をとっている。しかし実際の所その配置先の学校では人種や民族によって派閥が出来ており、余程のことがないかぎりその派閥が解消されることがない。互いの反目がエスカレートすれば抗争も起きる。「公平」を遵守する余り発生してこざるを得ない「冷たい棲み分け」はアメリカという社会をそのまま縮図にしたものと言えるかもしれない。

 日本の高校生と違い、「一人前の大人」扱いされるところが格段に多いアメリカの高校生が住む世界は、既に大人のものと変わりない。子供を産み、育てながら学校に通うことは彼らにとってそれほど奇異なことではないのだ。そしてそんな環境の中で学校代表選手としてスポーツをする、ということは日本では考えられないほど注目を浴びることを意味する。

 学校であるからには勿論学業の優秀さを追求するのが第一目標であろうが、それと同じぐらいにアメリカの各高校が力を入れているのがスポーツ部門の充実だ。スポーツは勝ち負けがはっきり定義でき、地方メディアにも「我が地元の高校生の活躍」として大きく取り上げられる。あるスポーツプレイヤーがめざましい活躍を残せば、その高校の栄誉にもなる。故に学校側は才能のある少年達に奨学金を提示して自分の高校に来させようと躍起になる。 (1)

 大学ほど規模が大きくないため、より集団としての凝集性が高い高校において学校代表選手になることは、全ての生徒達に自分を認識されることを意味する。彼らは「スター」として尊敬と羨望の眼差しをその一身に受ける。男子の場合、いかに心に決めたガールフレンドがいようが、グルーピーの女の子は彼らにつきまとい、彼らと性的関係を持とうとして度を超した誘惑に出る。そして周りの大人は彼らを「金の卵」として下へも置かぬ扱いをする。特にNBAに入るような非常に才能あるバスケットボール選手に対しては、高校側は生徒も含め何事にも彼らを特別扱いするのが当たり前で少々の逸脱行為も多めに見られることも少なくはない。勿論逆に注目の的にされることによって逆にスケープゴートにされるケースもあるが(2) 、大抵の場合将来を嘱望されるような若いバスケットボール選手に関しては高校どころかその下、中学(ミドルスクール)の頃から半ば王様のような扱いを受けるのが当然になってしまっているのだ。いくら親や周りの一部の大人が彼らを厳しく育てていたとしても、その他大勢からちやほやされてきた彼らは、心のどこかに「オレは周りのヘボい連中とは違う、特別な人間なんだ」という慢心を知らず知らずの内に培ってしまう。おそらくコロンバインで乱射事件を起こした2人の生徒はこうしたスポーツ選手の鼻持ちならない態度にどうにも我慢ならず、「キレ」てしまったのではないだろうか。

 80年代以降、バスケットボールはヒップホップ文化と結びついて多分にアフリカン・アメリカンに特化されたスポーツへと変貌を遂げたが、同時に80年代以降に名を残すようになったアフリカン・アメリカンのプレイヤーの半分以上は電気代をも払えないようなぎりぎりの生活を強いられているゲットー(アフリカン・アメリカンの用語的には公共住宅地域)の出身者なのだ。悲惨な生活の中、「貧しい黒人」として半ば成功を去勢されてしまった男達は女と関係を持ちあまつさえ子供を産ませてしまったとしても、子育てを女に任せっきりにして逃走してしまう。(3)父親という家族の中での厳格な立法者的存在を知らない彼らがスポーツに特異な才能を現しスターとしてちやほや扱いをされたとき、彼らの奢った心をたしなめる存在が果たしてどれだけいるだろうか。


98年12月、NBAチームの一つであるゴールデンステイト・ウォリアーズのチーム練習で当時コーチだったPJカーリシモからなじりにも似た叱責を受けたラトレル・スプリーウェルが逆上してカーリシモの首を締めるという事件が起きた。スプリーウェルは即刻出場停止処分になり、ウォリアーズとの契約も破棄され重い罰金が課せられた。(4)

 この事件を論じることに関して、まず大前提としてスプリーウェルに明らかに罪があるということをことわっておかねばならないだろう。いかに言葉で酷い中傷を受けたとしても、それに行動で報復するのは社会生活を営む人間のルールを著しく侵害する犯罪行為だ。

 しかしながらスプリーウェルだけに問題があったかと言えば、そうとは言い切れない。カーリシモのコーチとしての力量はシートンホール大での優秀な成績によって折り紙はつけられている。何がカーリシモに足りなかったのか。

 おそらく、プレイヤーの精神的立場になって考えるという作業であろう。カーリシモはウォリアーズに来る前にコーチを務めていたポートランド・トレイルブレイザーズでもデイモン・スタウダマイヤーやラシード・ウォレスといった若い選手達と衝突し問題を起こしており、それがブレイザーズ解雇の原因の一つに挙げられている位だった「札付きの」人物なのだ。彼は世代の違いを理解してやることができなかったのだ。

 カーリシモが現役選手としてプレイをしていた時代とスプリーウェル以降のプレイヤーがプレイしてきた現在とではバスケットを取り巻く状況は激変している。何よりもメディアがバスケットボールというスポーツをネタに視聴率を稼ぐようになり、またNBA放送がアメリカ以外の世界の国々に行き渡るようになり、以前とは考えられないような桁の金が動くようになった。プロバスケットボール選手の契約金や広告収入がミリオンからビリオンに跳ね上がっていく中、バスケットボールに非常に才能があるというだけで特別扱いされちやほやされてきた少年達は厳しく教えられることに慣れて来なかった。そんな成長の仕方しか出来なかった彼らを昔流に叱り飛ばして軍隊のように鍛えることには自ずと限界があるのだ。(5) ましてや、個人プレイヤーが目立つようにゲーム的にお膳立てされたNBAの世界で、叱り飛ばされたスプリーウェルが逆上したことは「コーチよりもプレイヤーが上」といういつのまにか形成されてしまった暗黙の精神的立場関係を色濃く反映してはいなかったか。(6)  この事件についてはお山の大将扱いを受けてきたスプリーウェルがいたチームに、時代の差を理解できなかったカーリシモを連れてきてしまったフロントに最も非があるともいえるが、それ以前にこれは今まで私が述べてきたようなことを考え合わせれば起こるべくして起こってしまった不幸な事件ともいえるのではないだろうか。(7)

 最終的に誰が悪いのかという話になれば、結局の所私はマイケル・ジョーダンの名を挙げざるを得ない。NBAのグローバル化と相俟った彼の活躍はバスケットボールプレイヤーが大金持ちになる可能性を少年達に夢見させてしまったのだ。彼はバスケットボールをたった1日、それも2時間のプレイだけで一般人が一生かかっても稼げないような額を懐に入れることが出来る世界にしてしまった。ジョーダンは偉大なバスケットボールプレイヤーだった。しかし彼はあまりに偉大すぎた。偉大すぎて、バスケットボールに才能を示した少年達全てにまでその威光たっぷりの王様の衣装をお裾分けしてしまったのだ。そしてバスケットに才能を示す少年達に「オレはこれぐらいやったっていいんだ」という慢心を与え、ひいてはNBA選手達に「オレは世界最高の選ばれた王様だ」という何とも始末の悪い冠を戴かせてしまったのである。 (8)

 裸の王様は純真な子供が「でもやっぱり何も王様は着てないよ」と指摘することができた。しかし、たとえその金の冠がメッキで衣に縫いつけられた宝石がただのガラスだとしても、バスケットボールという見た目きらびやかな冠と衣装を身につけた王様に対して、何も知らない子供達は魅惑以外の何を感じることができるだろうか。

 彼らが着ているきらびやかな衣装をただのまがいものだと指摘し、必要とあらば脱がして普通の人に戻してやることができるのは、バスケットという衣を着込んで一般人としての自分を隠さざるを得なくなった彼らの状況をしっかりと理解し、正しい方向に導いてやれるような大人をおいて他にはないだろう。

(1)この辺りの事情は大学がスポーツ選手を勧誘する場合と一緒だ。高校時代からずば抜けた能力を持っていたクリス・ウェバーは現在ですら、ミシガン大に進学を決めた背景にミシガン大系列のブースターからの不自然な資金提供があったと批判の俎上に上げられている。高校の勧誘に限って言えば、現ノースカロライナ大学のジョーゼフ・フォーテイは中学時代に地元のジョージアの高校から様々な勧誘を受けたが、中には恐喝まがいのものまであったという。

(2)サウスカロライナ州モールディンにいた少年時代にいわれのない罪を着せられ、結果的にシカゴに移住したケヴィン・ガーネットや、仲間同士の抗争に荷担したため(といってもその場にいたらしいという話だが)投獄を経験したアレン・アイヴァソンなどのケースはこれに属すると言える。


(3)シャキール・オニールの「生物学上の父」やデニス・ロッドマンの父親などがその例として挙げられよう。最も悲惨な例は99年のドラフトで1巡目の最後にダラス・マーヴェリックスから指名されたシカゴ出身の高卒プレイヤーのレオン・スミスであろう。彼は父親どころか、母親にすら養育を放棄され、「ワード・オブ・ステイト」(養育権を放棄した親に代わって州が養育を行う子供)として第三者のところを転々として成長してこざるを得なかったのである。彼のNBA入りしてからの数々の問題行動をこのような深刻な少年時代のトラウマを抜きにして語ることは片手落ちも甚だしい。


(4)その後、破棄されたチーム契約は調停により復活し、結局事件後一度もウォリアーズでプレイすることなくスプリーウェルはニューヨーク・ニックスにトレード移籍した。


(5)インディアナ大のコーチのボビー・ナイトの、まるで選手の個性を認めないような軍隊式の厳しい指導は昔から有名だが、最近では彼のやり方に耐えきれずスター選手達が次々と転校を決めチームから離れていってしまっている。このことはスパルタ式コーチングの限界を如実に反映したものと言えよう。


(6)だからといって私は「スプリーウェルに全く罪はない。彼は正しいことをやったのだ」とする一部の意見には強硬に反対する。どうやらこういう意見の持ち主には「白人の使用者と黒人の被使用者」という対抗図式を持ち出してそこに人種差別があったと主張するOJシンプソン裁判的傾向が強く見られるようだ。確かに人種差別は人間にもとる行為だ。しかし、だからといって黒人が白人を殺して無罪になることには非常に疑問を感じる。


(7)カーリシモ首締め事件以前にもスプリーウェルはその態度をたしなめたチームメイトに殴りかかるという事件を起こしている。事態の明白化を恐れたフロントはこの事件を無理矢理もみ消したが、これ以降スプリーウェルの慢心に一層の拍車がかかってしまい誰も彼を止める者はいなかったという。


(8)スポーツ関係者の話によれば、アメリカの4大プロスポーツ(野球、アメフト、ホッケー、バスケット)の選手の中で一番ファンに対する態度が悪いのはバスケットボールだそうだ。これはバスケットボールで稼げる平均年収が他のスポーツと比べて桁外れに高いことと無縁ではあるまい。

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