TUPAC SHAKUR
サグ・ライフの光と翳

Rhyme1:反逆の使者として
 彼の名はトゥパック・アマル・シャクール。これはギャンスタ・ラップのファンなら誰でも知っている名前だろう。しかし、その中の何人がこの名前の由来を知っているだろうか。
 トゥパク・アマル。それはアンデスに一大文明を築いたインカ帝国の最後の皇帝の名。1572年、フランシスコ・ド・トレドが放った刺客の前に無惨に処刑された人物の名。そして、その後裔で、1780年にスペインの圧政に対して蜂起し大規模なインディオ叛乱を起こした指導者の名。翌年、捕らえられて処刑された男の名。
 少し南米の政情に詳しい人ならば、MRTAという言葉を聞いたことがあるかと思う。ペルーの日本大使館を占拠し、日本人を人質にとって立て籠もったのは、他でもないこのMRTAだった。そう、MRTAのTAはトゥパク・アマルの頭文字からとったものなのだ。
 トゥパク・アマル。それは近代以降虐げられたものにつけられてきた、反逆者の名前なのだ。 彼は生まれる前から反逆して生きることを運命づけられていた。
 彼の母、アフィニ・シャクールは1960年代後半の公民権運動の波をモロにかぶった世代だった。彼女は「発言する黒人」として1968年にブラックパンサー党員になった。ブラックパンサーは公民権運動の中で最も過激な革命組織であり、その闘争的な性格はFBIの格好の襲撃目標だった。
 ブラックパンサーは武力闘争という点では過激派であったが、同時に子供達への無料の朝食サービスや医療サービスを実施していたという点で共産主義的な性格も併せ持っていた。そして、このような共産主義的革命組織の中では女性は「家父長制からの解放」という名の下に「公衆便所」の扱いを受けるのは日本の学生共産主義運動組織の例からも類推できよう。
 1969年4月、彼女はニューヨークの公共施設を爆破しようと計画した疑いで彼女の夫を含む他の20人の党員と共に逮捕される。間もなく彼女は保釈されるが、その間に彼女は2人の男から言い寄られ、関係を持ち、そして妊娠してしまう。まだ獄中にいた夫はその事実を知って彼女と離婚した。彼女が本当に「男達の公衆便所」だったかどうかは知る由もない。ただ、確実に言えることは「彼女の子供の生物学上の父親は不詳」ということだった。
 妊娠中、アフィニは再び拘置所に入れられ、毎日をたった1個の卵と1杯の牛乳で過ごさねばならなかった。留置所の鉄格子の中で大きなお腹を見つめ、彼女は涙を落とした。「この子はたぶん、生きては生まれて来ない・・・」
 留置所から保釈された直後の1971年6月16日、アフィニはトゥパックを出産した。インカ語で「輝く大蛇」を意味するTupac Amaruの名前にふさわしく、爛々と輝く大きな瞳を持った赤ん坊だった。 「オレはいつだって泣いていた。どこにも落ち着ける場所がなかったんだ」
トゥパックは自らの幼少期をこう述懐する。あまりの貧困のために彼とアフィニ、そして彼の父親の違う兄弟達はブロンクスとハーレムの間を転々として生活せねばならなかった。ホームレスのシェルターに入っていた時もあった。幼い彼はめまぐるしく変わる生活環境を共有してくれる友人を持つことなく、引っ越す度に自分を変えることを余儀なくされた。人格が形成されるべき時期に、何度もその人格を壊さねばならなかった彼の精神的な苦痛は如何程のものだったろう。生まれたときから"Me Against the World"の環境の中に置かれたトゥパック。幼すぎてその心の傷みを癒す術をまだ何も持てなかった彼は、ただ泣き叫ぶしかなかったのだ。

 15歳の時、ボルチモアに移ったトゥパックは初めて自分の気持ちを表現するものと出会った。それがラップだった。自分の言葉を持つことが出来た彼は水を得た魚のように生き生きと自らの感性を詩として書きなぐり始めた。17歳でカリフォルニア州のマリンシティに移ったトゥパックは高校中退後、デジタル・アンダーグラウンドでダンサーとして芸能活動を始めた。
 彼のラッパーとしての才能は程なく認められ、1991年には最初のアルバムである「トゥパカリプス・ナウ」をリリース、彼の伸びのある甘い声と心をつんざくような詩は多くの人を驚愕させた。「誰もトゥパックのようには心の傷みを語ることはできない。オレは全ての傷みをラップの中で表現するのさ」トゥパックは自らのラップをこう語っている。
 「彼の音楽ではダンスはできない。あまりに内容がシリアスであるから。そしてそれは意図的なようにも見える」とケヴィン・パウエルが表現するように、トゥパックの曲にはブラックコミュニティの実情を鋭く抉った作品が多い。先述したアルバム「トゥパカリプス・ナウ」の中に収録された「ブレンダズ・ガッタ・ベイビー」という曲の中では、ほんの13歳で従兄弟に弄ばれ、その結果妊娠して赤ん坊を産んでしまった少女がテーマとして語られる。「そんなのはブレンダの家庭の問題だろ。オレ達の問題じゃないさ」と無関心を装う若い男のかけ声にトゥパックは「どうだろう。ちょっとオレにこのことがいかにブラック・コミュニティと関係することか、言わせてくれよ」と呼びかけ、ブレンダの家庭の事情を語り始める。精薄児で名前も書けないブレンダが「ごくつぶし」と親類に疎まれて結局は自分の生活を支えるために売春婦に身を落とさねばならないこの悲惨な物語は、この曲のミュージックフィルムの最後にも字幕で現れているように「実話に基づいたもの」だ。彼は弱い立場のものが報われることなく底辺で暮らすしかない社会の歪んだ姿をラップに映し取って見せたのだ。ラップやヒップホップの世界では「リアルであること」が最高であるとされているが、これ以上の深刻な「リアル」があるだろうか。 だが、その「リアル」はトゥパックにとっては「諸刃の剣」だった。彼のラップはあまりにリアルすぎて本人を越えてしまったのだ。
 「ブレンダズ・ガッタ・ベイビー」の他にも彼はブラックコミュニティのストリートの実情を「サグ・ライフ」の使者として語り続けた。殺らなければ殺られ、銃とドラッグが横行し、暴力が共通言語として罷り通る、文字通りの「仁義なき世界」。トゥパックにとってはこのような世界の姿を「リアルに」ラップで表現することは当然のことだった。
 しかしそれが世界にとっては当然ではなかった。実際彼のアルバムがリリースされた後、「トゥパックの歌詞の内容が被疑者に影響を与えた」とされて何回も彼は告訴された。そしてトゥパック自身も暴力事件でシャバとブタバコの間を幾度となく往復した。
 映画への出演はトゥパックの実際の生活に最も影響を与えた出来事であろう。最初に出演した作品「ジュース」で彼は気が狂った殺人鬼の役を見事に演じた。しかし、それはあまりに見事すぎた。「オレは狂ってる。でもてめぇに何が判るよ?知ったことじゃねぇだろ」と言い捨て、虚ろな目で銃を乱射する彼の姿は「トゥパックとはこういう奴だ」という先入観を与えてしまった。そのため、世間はトゥパックに「ならず者」としての行動を期待し、押しつけてしまうようになる。俳優でもあったトゥパックは実生活でも「社会への反逆者」を演じざるを得なくなってしまったのだ。
 「ショウビズの世界はドラッグの世界なんかより最低に汚ねぇよ」
こう言ったのは、トゥパックの親友であり、最終的には対立してしまったノトーリアス・B.I.G.だった。この言葉を放った時、彼は芸能の世界のからくりに気づいていたに違いない。ラッパー達は社会の底辺の憾を言葉で表現する。しかし彼等はそのことによって社会的には成功してはならないのだ。どんなに曲がヒットしようが、また、それによって社会的に安定した収入と安全が得られようが、彼等は底辺の人間であることを、暴力とドラッグの世界の住人であることを「売り物」にしなければいけないのだ。
 トゥパックは周りのこうした漠然とした期待にあまりに正直すぎた。もしかしたら彼は社会的に成功することによって自分が変わってしまうことに怯えていたのかもしれない。彼はその恐怖から逃れるために暴力を奮い、女を凌辱し、社会に向かって「ファック・ユー」と叫び続けた。しかし、ふとその行為に我に返ると自分に残っているのは自らの虚ろな姿と死への幽かな期待のみなのだ。
 ストリートではブラックの若者達が次々と暴力に倒れ、この世を去っていく。自分はそれをラップにして語りかけ、金を儲ける。しかし、こうも思えないだろうか。「自分は死に遅れたのではないか?」いくらヘネシーを飲んでも、ドラッグをやっても、女を抱いても、トゥパックの心の片隅にはこのわだかまりが残り続けた。そして切なく甘いメロティの曲に乗せて彼はこう呟く。「ニガー、今年もオレは生きちまってるよ・・・」
 トゥパックは反逆者として生まれた。しかし、彼は「反逆者であること」には反逆できなかったのだ。


Rhyme2:ヤヌスの偶像

 トゥパックを語る際によく話題に取り上げられるのは彼の女性に対するアンヴィヴァレントな態度だろう。実際、「ブレンダズ・ガッタ・ベイビー」や「キープ・ヤ・ヘッド・アップ」ではブラック・コミュニティでの弱者として置かれた女性を擁護し、「決してへこたれるんじゃねぇぞ」と勇気づけている。かつてトゥパックはMTVのインタビューでこう答えていた。「オレはシングルマザーの家庭で育ったんだ。だから女親が一人で子供を育てていくことがどんなに大変か、よく判ってるぜ。そう言う意味ではオレは女の味方なんだよ」 
 しかしながら一方で、ギャングスタ・ラッパーとしてトゥパックは、「女なんてオレに悦ばされるのを待ってるようなビッチばかりだぜ」と侮蔑にも似た視線を投げかける。元々ラップはLL Cool Jが大ヒットを飛ばした辺りから既にこのような女性蔑視のライムを売りにしていたから、トゥパックはその風潮に乗っただけとも言えるかも知れないが、彼の曲の多くでは彼は前述の女性擁護の曲以上に女性を愛情はおろか、セックスの対象としか見ていない。
 このような正反対のことが、一人の人間の中でどうして起こりうるのだろうか。トゥパックが死んだとき、ある心理学者は彼の精神状態についてこう分析した。「彼は父親を知らないで育ったため、家庭に存在するべき父性---厳格に司る親---の存在を知ることがなかった。彼は自分を育ててくれた母性を尊重しはしたが、一方で自分に欠けてきた父性を強いものへの憧れとして変性させた。その結果弱者である女性を蔑視することにもつながった。父性を知らなかったからこそ、トゥパックはあれだけ無軌道に権力への欲求をつのらせて次々と暴力事件を起こし、そしてその結果自らが銃の犠牲になってしまったのではないか」
 なるほど、確かにこれは権力を父性と結びつけ、エディプス三角形を重視する心理学の世界からの回答としては的を得たものだろう。壊れてしまった三角形は心理学にとっては格好の素材だ。しかし、これでは結果的には女性を「弱いものに属する生物」として蔑視して見ていたと結論づけられてしまう。人間の精神とは、そのように一方の色で染められてしまうような単純なものなのだろうか。もし、そうだとしたら、トゥパックがこれほどの---時に人種の壁をも超える程の---支持を獲得した理由はどこに見つけられるだろうか。 トゥパックはその生涯の中で数多のタトゥーを体に刻み込ませてきた。皮膚の張り替えでもしなければ一生体に残り続ける傷跡となってしまうタトゥー。それを入れる、ということは一生をそれと共に生きるという宣言をしたに等しい。
 トゥパックは腹部にアーチを描くように"Thug Life"と入れた。いつも目を落とせばすぐに判る位置に、彼は己の生き方を大書し、「サグ・ライフ」を文字通り肚に据えて生きていくことを誓ったのだ。
 そして、彼は背中にゴシック調の十字架を乗せた。まるで十字架を背負ったイエスのように。彼は晩年のアルバム「マカヴェリ」では十字架に張りつけにされた彼自身の絵をジャケットにした。敬虔なキリスト教徒ならば彼がキリストに比せられているこの絵は唾棄すべきもの以外の何物でもないだろう。彼はキリスト者であるにはあまりに背教的な行動(具体的には十戒に背くような行動)を犯し続けたからだ。
 確かに彼は姦淫し、人を傷つけた。しかしそれにも関わらず、彼はキリスト教徒だった。一生の傷として十字架を背負い、神の言葉としての聖書の一節を身に纏う(彼はその十字架の中に旧約の「出エジプト記」第18章第11節の文字を入れている)ことを受け入れることが、果たしてキリスト者以外にできるだろうか。
 キリスト者としてのトゥパック。ここに、彼が大きな支持を集め、そして女という生き物に対して終始アンヴィヴァレントな態度をとらざるを得なかった理由が存在するのではないだろうか。 聖書を少しでも紐解いてみれば、キリスト教が女性蔑視的側面を持っていることは明らかだ。旧約聖書では神が造形した最初の人間であるアダムは男だった。そして神はパートナーを作るためにアダムから肋骨の一本を取り、そこから女を作った。そこには女の生産性は少しも認められておらず、ただ、言えることは「女は男の下位概念である」ということだけだろう。
 しかしそれと同時にキリスト教は強烈な聖母崇拝の性格も有している。それが一番よく現れているのはマリアの処女受胎というエピソードであろう。女性の子宮の中に放り出された卵子が性交を経て進入してきた男性の精子と結合しなければ受精卵として卵割が始まらない以上、実際には処女受胎ということなどあり得ない。それを無理矢理新約聖書ではマリアに処女のまま受胎したことにさせているのだ。
 何故そんなことを考えついたのだろうか。それはとりもなおさず、性交は卑しいもの、神の信仰者としての生活を大いに乱すものという戒律の存在に理由がある。世の中は神の使いとしてのキリストの顕現を待ちわびていた。しかし、人の子として生まれて来させるには性交がどうしても伴う。ならば、性交を経ないで生まれて来させれば良いではないか。
 この処女受胎というエピソードはイエスの神秘性を裏付ける他にももう一つの役割を果たしている。「マリアの神聖性」がそれだ。マリアはイエスの母であると同時に全ての母性の代表者として崇拝される。その中では決して母性は男と性交する存在ではない。男と性交するのは「女」であって、「母」であってはならないのだ。
 このことから考えても、聖書は男性によって作成されたことは明白だろう。女は男と交わらなければ母親になれないことを知っているし、性交することと産むことをひとつの世界の出来事として受け止めることが出来る。しかし男は産むことが出来ないから頭の中では性交することと産むことはどうしても結びつきにくくなってしまう。そして性交が害悪だとする概念が侵入して来るや、それは簡単に分離されうる存在になってしまうのだ。物心を知らない内からやさしく包み込み、自分をここまで育ててくれた母親は神々しい存在であるが、自分を誘惑し、道を踏み外させようとする女は悪魔でしかない、というように。
 キリスト教思想が骨の髄までしみこんでいるヨーロッパやアメリカ大陸の文化において、母性の神聖性が執拗なまでに崇拝されているのはこういった背景からであろう。裏返せば、母性を女と結びつけることが最高の侮辱となりうるのもこの文化の圏内の特徴とも言える。英語では男同士の喧嘩でよく相手をののしるときによく"son of a bitch"というのを使うが、これは直訳すれば「売女の息子」で、「馬鹿」や「阿呆」のように相手を直接罵倒する言葉ではなく、スティグマは相手の母親に向けられている。母親、ひいては母性を不可侵の聖域と考える彼等にとってはこれは自らを辱められることよりも酷い屈辱なのだ。 トゥパックはこのような母と女という二つの偶像の中で一生の間揺れ動くしかないキリスト文化の中で育った男の心情を自らのラップの中で見事なまでに代弁した。誘惑する対象としての女を徹底的に凌辱し尽くす一方、産む性としての女に対しては信じられないぐらい優しい姿勢で向き合った。
 勿論トゥパックは絶対的に聖母崇拝をしていたわけではない。幼い頃は自分を育ててくれた唯一の存在として「母親がヒーローだった」トゥパックは、マリンシティに移ってからドラッグに溺れていく母親の姿を見て自分の母親が全能の存在ではなかったことに深く傷つき、自分の母親が「弱い女」であることを知ってしまった。
 しかし、どんなに堕ちてしまったとしても、自分の母親は世界に彼女以外にはいない。ドラッグ依存を克服した母親と和解した後、彼は"Dear Mama"という曲を作り、自分の母親に対する愛情を愚直なまでに吐露した。
「ママ、オレはあんたと喧嘩して家を追い出されたこともあったっけ。そん時はあんたの顔なんか二度と見てやるもんかと思ってたんだ。でも、判ったんだ。ママに代わる存在なんてこの世にはいないことをね。あんたがヤクを手放せないでいたこともオレは知ってる。でも、オレは判ったんだ。女が男を育てるのは生易しいことじゃないんだってね。あんたがオレにしてくれたことに報いることなんてできない。だけど、せめてこうやって感謝の気持ちは表したいんだ・・・」
 母親への崇拝に満ちた、こんな素晴らしい詩は、多分女には書けない。彼女たちには経験できてしまうからだ。子供を産み育てるということが不完全にしか出来ない男だからこそ、母親への感情をこのように美しくも、そして哀しくも表現できるのではないだろうか。

 1996年9月7日、トゥパックはラスベガスで4発の銃弾を浴び、そのまま帰らぬ人になった。多くの人が彼の死を悼み、そして暗殺者を憎んだ。彼の死について、ラップの創成者とも言える「ラスト・ポエッツ」のメンバーであるアバイオドゥン・オィエウォルは次のようにコメントしている。
「トゥパックは若者達によって崇拝されるようになるだろうね。ちょうどジェームズ・ディーンが白人の若者によってされているように。ジミーが「理由なき反抗」であったと同様、トゥパックも「理由なき反抗」だったんだ」
 彼はブラックの若い男達の心情---権力構造への反逆や女性へのアンヴィヴァレントな感情、男として生きていくことの孤独---を率直にラップで表現し、彼等にとっての偶像になった。彼等の感情がそこに注がれ、具現化されてしまったからこそ、トゥパックは暗殺されざるを得なかった---ジェームズ・ディーンが自動車事故で死ななければならなかったと同様。そしてオィエウォルが述べたとおり、彼はそれ以来ブラックの若い男達の間で崇拝され続け、多大な影響を残している。
 「オレは25歳まで生きられないだろうな」 生前、トゥパックはこのような言葉を残していたという。そう言ったとき、彼は朧気ながらも反逆という行為が若さという概念と不可分に結びついていることを悟っていたのかもしれない。失われてしまったからこそ、「理由なき反抗」は結実されるのであり、世代(generation)は形成されてはいけないのだ。
 「オレに死に対する恐怖があるとしたら、それは生まれ変わってこの世に戻ってくることだけだ」彼はこう、右腕にタトゥーをしている。それは輪廻転生を認めないキリストの教えの遵守であると共に、若さや反逆が繰り返し得ない、かそけきものであることを体に滲み込ませている証明でもあるのだ。


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