2004年03月22日(月)  ソフロニツキを聴く
 何のことはない、数日前に(もう一週間前か)ニュースステーションで辻井伸行氏のカプースチンの曲の演奏を聞いた。そのあまりにロシア的なメロディに何故か無性にスクリャービンが聴きたくなり(なんでやねん)、ピアノは玄人はだしの友人に問い合わせてみたところ、ソフロニツキやヴェデルニコフの音源がいいということだったので早速購入した次第である。

 ソフロニツキは20世紀前半にロシア・ソヴェトで活躍したピアニストでスクリャービンの娘婿である。という辺りを紹介しておくが、今までソフロニツキの音源というのはLPレコードからのテープダビングという最悪の音環境でしか聴いたことがなかったWOGである。更にしばらくクラシックの新譜を漁っていなかったこともあって、「ソフロニツキのCDなんて出とるんか!」と(あまりに遅い)衝撃しきりだった。今回改めてCDで聴いてみたが、テクニック的には日本の演奏家の方が優れている点もいくつかあるが、それを補って余りあるアーティキュレーションの豊かさが非常に印象的だった。特にエチュード42-5のコブシのきいた歌わせ方は非常にWOG好みだ。

 さて、このCD、どうやらモスクワ・オスタンキノラジオの版権のものをコロムビアが買って発売しているらしい。

 これで思い出させるのが、ソヴェト時代のロシアのクラシック音楽に対する手厚い国家保護だ。音楽の才能ある少年少女たちは早くから英才教育を受けることができ、ビアニストの中村紘子などはまだロシアがソヴェト政権だった頃に出した、ソヴェトの音楽事情を綴った本のなかでソヴェト・ロシアのことを「理想の国」とまで表現している。ソヴェト時代、「政権によって公認された」クラシック音楽は市民の数少ない娯楽であり、人気のあるピアニストのコンサートのチケットを手に入れるために零下20度にも30度にもなる中、屋外で黙々と人々が並んでいたという。

 一方で、ソヴェトは少しでも共産党の方針に反するようなクラシック芸術家には容赦なく迫害を加える政権でもあった。チャイコフスキーのゲイ嗜好への毒殺疑惑に始まり、ショスタコーヴィッチの葛藤、ロストロポーヴィッチやホロヴィッツ、マイスキーなどといった著名な演奏家達の移住や亡命なども有名だ。

 また、ソヴェト政権はポップミュージックに関してはとことん冷淡で、ロックに憧れる青年たちはゴルバチョフの登場まではこっそりと隠れるように活動を続けたりレコードを聴いたりしていたようだ。ヴィオラ奏者のユーリ・バシュメット(だったと思う)も、ビートルズが大好きでよく隠れて聴いていたのに、その後のジョン・レノンとオノ・ヨーコの結婚によるビートルズメンバー内の軋轢のエピソードは全く知らなかったらしい。何となく『ビートルズを知らなかった紅衛兵』を思い出させる話だ。

 作家の五木寛之氏の古い作品に『さらばモスクワ愚連隊』とタイトルのついた物語がある。ロシアの青年とジャズピアニストである主人公、そして日本人外交官の奇妙な交流を描いた作品であるが、その中で印象深いシーンがあった。ソヴェト政権の一角を担う政府の役人がショパンの曲を非常に丁寧に綺麗に弾いた後に、主人公がジャズのスタンダードナンバーである"Strange Fruit"を弾くという場面である。Strange Fruitはビリー・ホリデイの中でも非常に有名な曲であるが、この「奇妙な果実」というのは、果物ではない。19世紀後半から20世紀はじめにかけてのひどい人種差別の中、リンチされてくびり殺された黒人が木にくくりつけられている様子を描いた曲だ。

 役人はこの主人公のStrange Fruitsの演奏に心底感動し、涙まで浮かべるが、それは絶対に認めようとしない。なぜなら、それは「公認された音楽」ではないからだ。そう、中村紘子言うところの「理想の国」とは、こうした構造で成り立っている国だったのだ。

 そしてこのいびつな構造はひとたびソヴェト政権が崩壊するや、国家の後ろ盾を失ったクラシック演奏家やバレエ団の海外流出や海外資本による安価な招聘といった事態を招来することになってしまった。先頃元教祖に死刑判決が出されたオウム真理教も、バブル期の金余り現象にモノを言わせてロシアの交響楽団を招いて演奏会を開いたこともあるし、更には現在でも日本のアニメやドラマの主題歌やサントラのオーケストラヴァージョンのCDから100円ショップに出回る「はじめてのクラシック」などのCDに至るまで、殆ど必ずと言っていいほど旧共産圏の国にあるオーケストラが演奏している。日本の人件費の高いオーケストラに比べ、契約料や演奏料が格段に安いために買い叩くことができるからだ。そして、演奏家達も金になればと相手が宗教団体であろうが何だろうが手を出さざるを得ない所にまで窮乏が進んでいる(特に1990年代後半はその傾向が強かった)。今、私の手元にあるこのソフロニツキのCDも日本の企業がどれぐらいの版権料を払ったかは判らないが、やはり外貨に飢えるロシアの一端を見たような気がしてならない。

 しかしながら、ロシアは資本主義に移行したことによって一気に全員が貧乏になったわけではない。バルト三国の独立に始まる一連の流れの中で、ロシアは社会主義政権下では考えられなかったほどの貧富の差を生み出してしまったのだ。一方ではマフィアや新興成金達の所には有り余るほどの金が集まっている。世界で一番の金持ちであろう人物はロシア人のアブラモヴィチ氏であり、彼はイングランドのプレミアサッカーリーグの中の1チームを1人で買ってしまえるほどの資産を持ち、ロンドンに在住している。しかしその一方でその日にも困っているストリートチルドレンが、他の大人の失業者と一緒にたった20円かそこらの金のために血眼になっているのだ。このような状態をまざまざと見せ付けられては、ソヴェト時代への回帰を目指す勢力が現在のロシアで伸張していることも認めざるを得ないだろう。

 留学から帰ってきて一番に思った日本のいいところはカメラ(デジタルもフィルムも)の品数の多さと、そしてクラシックのCDがこれほどまでに充実していることだった。日本人演奏家だけでなく世界中の演奏家の色々な音源がここまで揃っている国というのは珍しいのではないだろうか。ソフロニツキの演奏のCD化、そして商業ベースでの販売が日本で実現しているというのは、この辺も関係しているのかもしれない。

 しかしながら、こんな多くのクラシックファンがいる日本ですら、人件費のかかるオーケストラなどの消滅が各地で起こっている。最近聞いたのは東京都響が不採算により解散されるという話だし(これは石原都知事の「指導」によるものだという専らの噂だ)、大久保にあるシェイクスピア劇を主に上演していたグローブ座はジャニーズ資本にのっとられてしまった。「それが世の流れだ」と言ってしまえばそれまでかもしれない。しかし、何でも金のものさしだけではかって切り捨ててしまうことの愚を、今の人々は忘れてしまったのかもしれない。

 五木寛之の物語の中でロシアの役人が心を動かされる音楽は何も「体制が公認する」クラシックだけではないということを知ってしまったのと同様、それを裏返せば「潤沢な利益を生み出すものが全ていいものであるわけでもない」ということも言えるであろう。利潤を追求するあまり、一人一人がそれぞれに経験する「いろいろないいものとの出会い」が阻害されてしまうのであれば、それは大いに間違っていることではないだろうか。


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