2003年03月13日(木)  人種差別国家ニッポン
 現在の小泉内閣の不甲斐なさは株価8000円割れや世論を無視したアメリカによるイラク攻撃支持などで既に嫌と言うほど思い知らされていたが、ここに来て更に愕然としたニュースに接した。
 最近の発表によれば、文部省は英語系の言語で教育がなされるインターナショナルスクールを卒業した生徒の、日本の(主に国立)大学への入学資格が認可されたにも関わらず、朝鮮学校や中華学校を中心とするアジア系の大学には入学資格を認めなかったという。
 さすがにこれには国会議員も「これはおかしい」と異議を唱え修正要求を突きつけたというが、それ以前に文部省が審議をする段階で「おかしい」と気付かなければいけないはずの事項ではなかったのか。
 何回も言っているが、私の目から見て日本人の中には「アンタ一体何様のつもり?」と言いたくなるような傲慢な態度をアジア系各国の人々に対して取っている人が少なくない。これは同国民の一人として情けなさを禁じえないことだ。大体、人種差別度ナンバーワンのアメリカ白人(の一部)から見れば、日本人だろうが中国人だろうがタイ人だろうが、「妙な言葉を話す黄色いサル」でしかない、という事実にそういった人々は全く気がついていないのだ。
 昨今は「アジアブーム」と称してアジア系の文物や食べ物に身近に接することができるようになり、また、アジアへの旅行も盛んに行われているが、こんなニュースを聞くと、日本は全然アジアを理解できていないし、また、日本人も「我々はアジアの一員」と言っておきながら全く違う方向を向いている、と失望させられる。
 それ以前に日本人の中には在日コリアンが差別の撤回を求めて活動していることを「コリアンは怖い」と思っている人が何と多いことか。私に言わせれば、コリアン達がそういった行動に出るのは「自分たちの主張や立場をはっきり言明する」という意味で全く当然のことであり、逆に日本人が国際社会でアメリカの言いなりになっていたり、それ以前のレベルで複数の人間が集まった場で積極的に自分の意見を発言せず「普通でいたい」となあなあになってしまうことの方がよっぽど気味が悪い。それでいて、自分たちはまるで白人であるかのような振る舞いをしているのだ。何度も日記で主張しているが、こんな振る舞いをする日本人など、そういった日本人が目指している(であろう)ところの差別的な視点を持つ白人の目からすれば全くのお笑いごとでしかない、ということにいつになったら気付くのだろうか。
 在日コリアン、そして中国や韓国が主張している完全な形での謝罪と戦後保障は彼らの権利からすれば当然であり、日本も国としてそれは「自らが犯した犯罪だ」と認めなければいけないと思う。
 しかしそれがなぜ「日本人は国際社会では何も主張できない」という態度に結びつくのだろうか。確かに日本は第二次世界大戦で完膚なきまでに叩きのめされ、再建の全てをアメリカから派遣されたSCAPにゆだねなければいけなかった。それは歴史の流れとして受け止めなければいけない。だが、「日本はアメリカの助けを借りて立ち直った」ということがどうして「いつまでも日本はアメリカの言うことに従わねばならない」に変化してしまうのだろうか。
 少し前、韓国で在韓米軍の戦車が韓国の女子中学生を轢き、死なせてしまったにもかかわらず、その轢いた兵士は無罪になった、という事件があった。これに関して、韓国では全国的に大きな反米運動が起こったという。一方、それ以前に日本でも沖縄で少女がアメリカ軍兵士によって強姦される事件が起きていたが、一体沖縄以外のどれだけの日本人がこの問題を日本に対する「侮辱」として真剣に受け止めただろうか。
 確かに「日本は軍隊を持たないから、アメリカの力を借りなければいけない」という議論は罷り通るが、それにしても日本の自衛隊の兵力は今や軍事的に見ても軍隊を持つ他の国に劣らない規模にまで拡大している。また、世界軍事戦略的に見ても(各国の都合は無視した見方ではあるが)日本というのはアジア地域の重要な軍事拠点たりうる土地であるだけに、米軍が駐留したがる理由も理解できる。
 しかし、だからといって、悪いことをした人間が無罪にされるのを「相手がアメリカさんだから」といって何も言えないような不甲斐ない国にいつからなってしまったのだろうか。アメリカ軍が駐留してるからアメリカの言うことに従わねばならないと言うのだったら、フランスやドイツはとっくの昔に武力行使をしていたはずだ。
 勿論日本は戦争の反省から素直に日本国旗や国歌を受け入れられない心情が存在することは否定できないが、日本人であることの誇りは決して失ってはいけないものだと思う。
 しかしその「誇り」が、100年以上前の脱亜入欧型福澤モデルに未だに支配されているような気がしてならない。日本以外のアジアの国々の人々を蔑み、自分がまるで白人と同等であるような行動をとるような態度は決して「誇り」とは呼べない。それでいて「アジアのリーダー」と言うのであれば、そんな種類の人間は他の国々の人から「日本人は馬鹿」扱いされても致し方ないのではないだろうか。 


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