2003年01月28日(火)  War is not the Answer
 先ごろ日本でも放映され、アメリカでは地上波で放送があったAmerican Music Awardで、歌手シェリル・クロウは"War is not the Answer"と書かれたTシャツを着用し戦争の無益さをまさに自らの身をもって訴えた。そして彼女はこのTシャツのメッセージについてこうコメントをのこした。「このような意見を持つ人が少なくないのに、何故かメディアでは全然取り上げられていない。だから私はこれを着ることを選んだの」

 彼女の行動は敗戦を経験した日本人にとっては非常に理解できるものだが、敗戦をしたことがないアメリカの、特にメディアには判らないらしい。どうして、メディアは対イラク戦争のことばかりをとりあげ、そしてさも「イラク攻撃まで秒読み」と煽り立てるのだろうか。

 勿論それがジョージ・W・ブッシュの意向を反映しているものであるからに違いないからなのだが、その一方でアメリカ国内にも多くの対イラク戦反対者がいて、さまざまな反対運動を起こしていることをどうして「秒読み」と同じぐらい報道しないのだろうか。そういったメディアの態度が結局のところメディアでしかその国を知ることができない外国の、たとえば日本人たちの目に「アメリカは好戦的な人ばかりだ」という印象を与えてしまっているのだ。

 アメリカの、イラクを攻撃する本当の大義名分はおそらく核査察ではなく「911を起こしたテロリスト達を支援していたから」なのだろうが、この背後には「テロの犠牲となった人のためを思って」やってるんだという押し付けがましいアメリカ流の恩情主義が見え見えなのだ。結局イラク攻撃を支持する連中は、そういった遺族の人の気持ちを自分のいいように解釈して戦争(これによって無理矢理経済問題を解決し人々の気をそらそうとしている)を起こそうとしているだけなのだ。大体遺族の立場になって考えてみれば、とにかく精神的な損失を埋めるだけでも大変で、しかも、生活の危機もかかっている。大切な人を失った痛みをよく判っている人間が自ら率先して同じような境遇の人間を作り出そうなんて、よほどの人種差別主義者でないと思いつかないだろう。

 残念なことに、対イラク戦はアメリカに依然として多く存在する人種差別および民族差別主義者によって支持されている。保守白人層に多いこういった人々は外国人を非常に忌み嫌う。結局のところ彼らは「自分だってもともとは先祖をたどればこの土地にとっては外国人なのだ」という歴史的事実をまるで忘れてしまっている。

 現在のアメリカ政府がやろうとしていることは自分の身内が殺された後法律に従い裁判で決着をつけるのではなく、自分の全くの独断によってやった相手を殺して復讐しているのと同じなのだ。果たして、そんな国が国民のひとりひとりに法に従えと言える立場にあるのだろうか。しかしながら、アメリカの保守層の戦争支持者にとっては、こんな危険なからくりをも「我々の聖なるアメリカが陵辱された」という恥辱の前には法律などは「単なる文章の塊」に過ぎなくなってしまうのだ。

 私が住んでいたノースカロライナ州シャーロットは典型的なアメリカの保守都市で、何かにつけ私は外国人としての風当たりを強く受けてきた。アクセントがおかしいというだけでその人の知能が低いと見て相手にもしないような馬鹿な人々に何度も遭遇したこともある。おかげさまで、私はアメリカ人の、特に保守的な人たちの考え方を否が応でも理解させられてしまった。それは自分には絶対に支持できない考えである。しかし、どのように考えたらそういう結論が出てくるのか、なぜそう考えるのか、という思考過程が何とはなしに理解できてしまう自分が、まるでその考え方に染まってしまったようで、それを認めるのは自分にとってはあまりにも忌まわしいことだった。


 2002年末、戦争の暗い噂がささやかれる中、私はある種諦めた気持ちでシャーロット市内を車で移動していた。すると自分の目の前の車の一台に、シェリル・クロウが着ていたシャツと同じメッセージが書かれたステッカーが貼られていたのだ。

"War is not the answer."

 このことはリベラルな州に住んでいる人にとっては何ともないことなのかもしれない。しかし、共和党からの市長候補が70%近い得票率で勝利を収め、未だに"Bush Chaney"と書かれたステッカーを貼った車がそこかしこに走っているシャーロットの雰囲気に慣れて(慣らされて)しまった私にとっては本当に心が洗われるような出来事だったのだ。『ああ、ここに人をちゃんと人として見て、戦争の無益さを知っている人がいたんだ。』と。

 戦争に負け本土に侵略されたことのない(=自分たちのやることが正義だと信じる)国でこういうことが出来るのはよほどの勇気と判断力がなければ無理であろう。私はこの一台の何気ないステッカーの中に「最後のアメリカの良心」を見た気がした。絶望的な気持ちではあるが、やはりアメリカ市民である人たちの地道な努力こそが、対イラク戦の無意味さに多くの人を気付かせる契機になりうると私は信じたい。


Go Back Home