歴史の捏造
10/22
 新学期に入ってから、WOGは週末に労働をしている。父親もとうとう定年を迎え(とはいってもまた別の職場にベッドハンティングされて役員として働いているが)、なるべく親に負担をかけさせないでおこう、と始めたわけなのだが、これが意外に1週間の生活に影響を与えている。
 まず、自由時間が確実に減り、新聞もあまり読めなくなった。毎日のように部屋にたまっていく地元新聞の山をみて掃除をするのが嫌になってくる。土曜の午後にゆっくり本屋で雑誌や本を読むのが今までの日課だったが、これも出来ていない。勿論、経済的にはあまりスポンサーである親に迷惑をかけなくはなったが、余裕のない生活というのもなかなかそれはそれで辛い。
 さて、そんなものはおいといて、今回の話題。
 テロだの炭疽菌だのという話題はどこのアメリカへの留学生の日記でも話されているようであるから、ここではまず喋らない。といって自分が全くそれらに影響を受けなかったわけではない。あの忌まわしいテロ事件の後1週間は精神的に鬱状態だったし、今だって少し体調を崩すと炭疽菌に感染したのではないか、とナーバスになってしまう。
 いいかげんにしないとまた脱線してしまいそうなので今度こそ本題に戻す。
 日本でもテロ支援だの炭疽菌だの狂牛病だのの騒ぎは大いに広まっているようだが、その影に隠れてしまった形の、しかしとても学問界にとっては深刻な問題が最近世間の耳目を騒がせた。縄文時代のものとされる日本各地の遺跡から出土した石器群の大規模な捏造事件がそれである。
 捏造されたとされる遺跡からの遺品は実に数十。今わかっているだけでも捏造が認められている遺跡は十数か所以上にのぼる。これだけの捏造を一人の人間が行ったというだけでもかなり深刻な問題であるが、それが実に10年、遺跡によっては20年以上も捏造が明らかにされてこなかった。
 この捏造が発覚した直後、各教科書製作会社は急ピッチでこれら捏造が認められた遺跡についての記述を削除し始めている。しかし、この記述は遺跡の「発見」から捏造が発覚するまでの十数年間、「新記述」乃至は「最近の調査結果」として高校レベルの日本史教科書にしっかり記述されてしまってきたことが、今回の事件での一番深刻な影響、と言えるのではないか。
 事実、私が高校生だった頃、つまり80年代の日本史の教科書や参考資料には今回の捏造の主舞台となった座散乱木遺跡や馬場壇遺跡などの名前が挙げられ、「縄文時代中期の日本での存在を裏付ける最新の成果」として大きくクローズアップされていた。私も縄文時代中期の遺跡名、として上記の遺跡の名前を暗記させられた記憶がある。
 しかし、これが今回の一連の捏造発覚によってほとんど白紙に戻ってしまった。「私の若き日の記憶力を返せ」という思いはさておき、まずは「なぜ彼はそんな犯罪行為をしてまで縄文中期の存在にこだわったのか」という疑問が湧きあがってこよう。彼は勿論捏造が犯罪行為であることは承知の上でやったであろう。「出世欲、名誉欲のため」と片付けてしまえば簡単だが(日本各紙の論調は、私が知る限りそういう理由付けに終始してしまっている)、果たしてそれだけで整理される問題なのだろうか。
 「彼」によって捏造がなされたのは80年代だった。この頃の日本はアメリカの「双子の赤字」とは裏腹に、人々はバブル景気に浮かれ、うなぎのぼりに高騰する地価と株価に「日本の強さ」を実感していた時期だった。勿論現在問題になっている扶桑社教科書のような捻じ曲がった石原慎太郎式「日本の強さ」ではなく、日本経済が安定低成長期に入ってしまってもこの経済力を保持しうる、とナイーブに夢想していた「強さ」だった。
 その頃、歴史学界では何が起こっていたであろうか。70年代に次々と明らかにされた日本での環境汚染の問題は海外からの環境学の輸入をもたらし、各学問のメソドロジーに「環境学的アプローチ」が追加されていった。日本の歴史学界では80年代に「環境歴史学」が始まり、気候などの自然条件の変化が歴史に与えた影響を考慮するようになった。
 ここで改めてクローズアップされて来たのが「縄文人思想」である。「縄文人」とは、勿論縄文時代に生きた人間の総称ではあるが、どちらかといえば80年代は「縄文人」を「弥生人」の対立概念として、観念主義的に、理想的に考える傾向があった。すなわち、弥生人が「ムラ」を作り、ムラ長(むらおさ)の絶対的権力が確立、余剰生産物による貧富の差が広がっていったのに対し、縄文人は大規模な集団的農耕を営まず、「大地の女神」を崇拝し、自然の恵みに感謝する生活を送っていた、とする議論だ。環境学の観点から言えば、弥生人が自らの周辺の環境を積極的に加工するという現代文明とその悲劇的結果である環境汚染につながる行為を始めた、と言うこともできる。一方、縄文人は環境を改造するよりはむしろ、環境と共存し、環境に支配される道を生きていた、と言える。また、自然に支配されていた縄文人は大陸から渡ってきた自然加工を生業とする弥生人に瞬く間に駆逐され、以来日本の風景が変わってしまった、といった議論も盛んになされた。「実は天皇家や昔の王族は大陸からの征服騎馬民族なのだ」という話は少なからず聞いたことがある人があるかもしれないが、これもやはり「縄文人思想」と深くかかわりがあることと考えてよい。
 この「縄文人思想」が水俣病やイタイイタイ病、四日市喘息などの深刻な環境汚染に苦しみ、現代文明のひずんだ姿に病んでしまった人々に全くアピールしなかった、と言えばそれは嘘になるだろう。「日本人は今こそ『日本人の原初の姿』である縄文人を見直し、自然との共存を積極的に図るべきではないか」こうした意見は当時各所で聞かれていたように思う。経済的成功に浮かれ自分達に自信を持った日本人は「自分達の『本当の』起源探し」に躍起になって参加したのだ。「ロン・ヤス」とアメリカとの対等な関係を強調し、それまでの親と子のような関係からの脱却をはかった中曽根首相のもとで国際日本文化センターが1987年に設立されたが、初代所長が「森の概念」で農耕文明に異論を唱えた梅原猛であるというのはいかにも示唆的ではないか。
 史的事実の捏造という犯罪を起こしてしまった「彼」の中にも、出世欲や名誉欲だけでなく、この「縄文人思想」への執拗なまでの憧れが存在したのではないだろうか。
それまでは縄文時代の中期の存在はぼんやりしたものでしかなかった。しかし、環境主義に基づいた「縄文人思想」を各界の知識人が取り上げ、そしてマス・コミュニケーションによって伝播され、一般の人の口の端にも登るようになった時、「なんとしてでも縄文人の存在をより明確に、よりはっきり示すものが欲しい」と「彼」が思ってしまった、と結び付けられる可能性が考えられるではないか。
 勿論、こういった「時代の風潮に基づいた科学的仮説による歴史の捏造」はあってはならないことである。しかし、それを「悪い」という簡単な懲悪論だけで片付けてしまうことはそれ以上にその時代の風景を見誤ることになる。これは学問にとって深刻な退化だ。
 アメリカの近代の歴史に照らし合わせてみれば、人種差別は法制度的にも道徳的にも今は完全なる悪として知覚されてはいる。しかし、ほんの90年ほど前まではこの国の征服民族である白人達は「優生学」という名のもとで「いかに西洋白人は文明的に進歩が約束された民族であるか、そして黒人はいかに人間よりもサルに近い低級な知能しか持たない種族であるか」ということを躍起になって理由づけようとしていたのだ。この優生学の存在を今の「常識」から「人種差別を助長させるだけの、間違った学問」と断罪することは誰にだって出来ることだ。しかし、こう簡単に片付けてしまうことは、黒人へのリンチが「毎週のレジャー」のように行われ、そのリンチの様子を描いた絵葉書で白人たちがリンチの場から友人宛に「我々は今リンチの様子をみんなで集まって見ながらランチを楽しんでいます」と書き送っていた当時の「常識」や時代の雰囲気を理解することを、よりいっそう不可能にしてしまう。
 「現在の時代の風潮や制約に影響されない研究態度」。これは言うのは容易いが、実際に行うのは本当に難しいことなのだ。なぜならば、私たちは今の時代に生き、今の時代の「常識」で物事を考えているのだから。あれから20年以上たってしまい、「縄文人思想」もその真新しさを失ってしまった今だからこそ、あの捏造事件は発覚したのではないだろうか。むろん捏造は犯罪であり、あってはならないことではあろうが、これがこれ以降の学問の発展にとって他山の石となってくれることを私は望んでやまない。

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