喜怒哀楽

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 5日ぐらい前のことだったろうか、仕事から帰ってきたルームメイトのロイダとひとしきり世間話を交わして、お互いに自分の部屋に帰ろうとしたときのことだ。ロイダが留守番電話の多さに気付いて「何かしら・・・」と表情を曇らせたが、多くは私には語らず、私たちは二人とも部屋の中にこもった。
 しばらくして、大きなわめきと叫びが聞こえてきた。「慟哭」とはこういう声を指すに違いない、と思えるほどの泣き声だった。ビックリして私は部屋を出ると、ロイダは仕事着のまま、顔を真っ赤にして次から次へと目から涙をぼとぼとと落として私が見ているのも構わず大声で叫んでいるのだ。何か不幸があったんだな、とは直感したが、ロイダはスペイン語でずっと叫び続けている。WOGには彼女が何をいっているのか、殆ど判らない(たまに、時々判るときもあるが)。とにかく彼女はどうしようもなく動揺していた。側にいた犬のシャキーラは彼女の叫びを聞いて何とか飼い主の彼女を慰めようと飛び跳ねたり、足をなめたり、私と同様落ち着きがなかった。
 少し後、発作のような慟哭が治まったロイダは彼女の祖父が亡くなったことを私に教えてくれた。「アナタがビックリしていたのも知っていたけど、感情を抑えられなかったの・・・」と穏やかな声で語った。彼女は祖父と4年間会うことがなかった、と。
 私としてはその彼女の言葉にも半分驚かされた。勿論家族は大切だけれども、祖父が死んであんな大声を出して泣くのだから、もしも彼女が溺愛している母親が死んでしまったら彼女は気がおかしくなってしまうのではないだろうか。しかも4年間も会っていないのだから、かなり彼女の中での祖父の面影は薄いであろうに、それでもあれだけ大声で狂ったように泣いてしまうのである。
 このような彼女の感情の出し方は、たぶんラテンアメリカの大家族主義や、開けっぴろげに泣きたいときは泣き、笑いたいときは笑うというラテン独特の快活な性格から来ているのかも知れない。もし、彼女が日本人だったとして、4年も会っていない、しかも父でも母でもない祖父が亡くなったとしてあれだけ大騒ぎになることはまずない、と日本人のメンタリティを持つ私としては考えてしまう。

 私は昨年の1月、祖母を亡くした。祖母は私がアメリカに留学する前に既に寝たきりの病院生活を余儀なくされており、おそらくそう長くはない、と判ってはいた。1月の中旬にFAXが来たときも、「ああ、亡くなってしまったか・・・・」と、生前形見としてこっそりわけてくれた指輪を見て、「これからはなるべくこの指輪を身につけていることにしよう」と密かに決めたぐらいで、あれほど激しく泣くことはなかった。
 勿論、私も全く泣かない、という訳ではない。2年前、大学時代本当に親しかった友人が自殺してしまったときなどは、その死後1週間は何かと考えると涙が溢れて止まらず、まともに生活できないぐらい衰弱した状態になってしまったし、その友人の葬式では思いっきり号泣して参列した友人何人にも慰めて貰った記憶がある。
 しかし、このようにWOGが素直に泣けるようになってきたのはごく最近のことだ。ここをよく読んでくれている人はご存知だと思うが、WOGは家父長制の意識が強く残る父親の元で長男の代わり、未来の家長の代わりとして育てられて来たから、「泣く」ということはそれこそ男が感じるように「女々しいこと、恥ずかしいこと」として育てられてきた。自分の本来の生物学的性別は女であるにも関わらずに、だ(中味は男的に育てられているのに外見はどうしても女、というギャップに悩むようになるのは中学に入ってから以降である)。
 私には妹がひとりいるが、妹はいくら泣いても「妹だから、仕方がない」とされた。しかし、私は「おねえさんだから、年上だから、悲しくても、痛くても我慢して妹に偉いところを見せなければいけないから」泣いてはいけなかった。子供は褒められると嬉しいモノで、ちゃんと泣かないで我慢すると「えらいわねぇ」と親や周りの大人達から褒められる。そうなると自然と悲しくても泣かない癖がついてしまう。長男の代わりとして育てられた私は、周りに弱いところは見せてはいけなかったのだ。おかげでよく仲間外れにされたときなど、仲直りした後からいじめた子達に理由を聞いてみると「いじめても殆ど泣かないからいまいましくて、泣くまでとことんいじめてやろうと思った」と語ってくれたものだ。WOGに対するいじめや仲間外れの程度が酷かったのはWOGのこの性格が災いして、なのかもしれない。
 確かに大人にとって泣かない子供、病気をあまりしない子供、大人しい子供、不平一つ言わずに一人で留守番をちゃんとする子供というのは手がかからないという点で全く助かる存在だろう。事実、私の子供時代はこの4つの条件を見事に満たし、ついでに学校の成績も良い、全く手のかからないマル優印の子供だった。
 こういう子供は青春を迎えたとき、そして大人になったときにあまり得にはならない。「何でも人に頼らず自分でやりなさい」とよく言われ、また正直にそれを忠実に守って育ってきた私には何でも自分ひとりで決めて自分でやってしまうところがある。「それはそれでいいんじゃないの?」と思われる向きがおられるかもしれない。確かに子供としては何でも「パパ、やって」とか「ママ、お願い」とか頼む子供より、自分でさっさと歯磨きなり、勉強なりをやる子供の方が助かることは間違いない。だが、現実の大人の社会、人間が生きている社会というのは、人は必ず他人を頼らないと生きては行けない、持ちつ持たれつの社会なのだ。そんなところで一人でやることの価値に重きを置かれ、「人に頼ることは恥」と刷り込まれてきたWOGのような人間は「人に頼るのが非常に下手」とか「社会に生きていく上での人間関係の維持の基本的な技術が下手な人間」という落第のレッテルを貼られてしまう。
 人に頼ったり、人に甘えたりすることは昔のWOGにとっては恥そのものであり、また今でもWOGはそうするのがとても苦手だ。なぜならばまだ子供時代の「人に頼ったり甘えたりするのは自分自身が未熟である証拠」という親からの刷り込みが根強く残っているからだ。
 WOGに異性との恋愛が出来ない(言っておくが友情は沢山育っている)のは、この「人に甘えられない」性格も災いしているのだと思う。事実、子供の頃はやんちゃばかりして手のつけられない子供だった妹は今やしっかり大人の女性として数々の男性と恋愛経験を積んでいる。彼女をみていると、本当に人に甘えること、頼ることが上手い。それは、妹として生きていく上で上達しなければならなかったテクニックなのかも知れないが、男の側からしてみれば、甘えられるとやはり自分がそれだけ頼られているんだ、頼もしい存在なんだ、とちょっと男としてのプライドを持ち上げられた気分になるのであろう。WOGみたいに、そんなプライドも何も考えず、自分でさっさと仕上げてしまう女は、妹のような女性に比べて、やはり魅力を感じないのだと思う。特に、「甘える女」というイメージが未だに男の幻想の中で根強い人気を保っている日本では。
 話が逸脱した。元に戻そう。
 それでも6年前位から、私はちゃんと泣けるようになったし、怒れるようにもなった(喜び、笑いはいつも感じているのでこの場合は割愛)。6年前、信頼していた父親から自分の婦人病のことで「そんな病気になるのはお前の内面が腐っているからだ。お前は人生の失敗者だ」と酷い文面を手紙で突きつけられた。そのとき、WOGは母親に電話した。父親からこんな手紙を貰った、と。母親は電話の向こうからこう声をかけた。
「くやしかったら泣きなさい。腹が立ったらちゃんと怒りなさい。あんたは子供の頃から滅多に泣かず、怒らない子だった。手がかからない子だったけど、もう泣いていいんだよ」
 こう言われた途端、涙がぶわあっと溢れ、そして父親の今までの私の育て方に対する怒りが一気にこみ上げてきた。ああ、もう我慢しなくていいんだ、と私は何かの枷が外されたような気がした。

 祖父が死んで、大泣きしているロイダを見て、私はその時のことをまざまざと思いだした。そして「ああ、この子は感情を我慢する、ということを文化的に教えられて来てないんだな」と感じた。悲しかったら素直に号泣する、彼女の率直さが少し羨ましかった。その3日後の土曜日、「ロイダ慰め会」とか称して付近一帯に住むラテンアメリカ系の友人が20人も私の家に来て朝6時まで飲めや音楽かけや、の大騒ぎをされた、そのラテン系のノリには迷惑を被ってしまったが。

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