宴のあと始末

12/26

 ペーパーだ、小旅行だ、と何だかんだ言っていたらいつの間にかこんなに更新をサボってしまった。すみません。決して死んだ訳ではありませんので御安心あれ。

 さて、今回はいろいろなトピックについてちょこちょこ書いていこうかと思うので、話の統一性といったものはあまり期待しないで貰いたい。

 まずは、壊れた車の話。結局車が戻ってきたのは12/14。壊れてから都合2週間近く経っての帰還だった。1週間はレンタカーを借りて買い物に行ったりしていたが、あまりに金がかかりすぎる、ということで2週間目はレンタカー無しでの生活だった。予め食糧や生活用品は買いだめしておいたので非常に困るということはなかったが、精神的には非常にやきもきさせられた。しかも時期は折しもファイナル(学期末試験)。本も読まなければならない、レポートも書いて提出しなければならない、というこの時期に何故全然関係ないことに悩まされなければならないのだ、と泣けてきた。
 そして修理代も泣ける金額。エンジン部分のそこかしこに欠陥が見つかって、アトランタまで部品を取り寄せたり、エンジニアが苦労して設置しなおしたりしていたら、部品代だけで$900、そしてエンジニア代が約$600。足して・・・今、足し算もしたくない気分だ。おかげでこの冬はシャーロットで大人しくしている以外なさそうだ。何せ資本主義の権化のような国アメリカであるから、金がないことには何も出来ない(逆に、金さえ積めば大抵のことはなんとかなる国とも言えるが)。
 それでも、心が救われることは少なからずあった。車が壊れて、困っている姿を見て駆けつけてくれたジョンは、12/14には授業で発表があってグリーンズボロ(車の壊れたところ。ここから車で1時間半かかる)まで行けなかったWOGに代わって修理工場に出向き、WOGの車をピックアップし、WOGの家まで遠路はるばる届けてくれた。普通こういったことは人に頼むとおそらく$100以上は取られるであろうが、彼は「だってキミは困ってるじゃないか」と快く無料奉仕をしてくれたのだ。WOGの車を運転してきたジョンは併走してきたカレンの車に乗って帰っていった。捨てる神あれば、拾う神あり、保守的な州ノースカロライナで明らかに外国人差別と判る扱いを人から受けることが少なくないこの状況の中、こういった人々の暖かい心に触れると本当に涙が出てくる。お礼として、WOGは明日ジョンの家をプレゼントを抱えて訪問する予定だ。

 車と言えば、アメリカに来てから気がついたことは、ここでの住所の最少単位は「道」なのだ、ということ。日本だと、住所の単位は「区域」だが、ここでは「区域」などとするとあまりに広すぎて特定しにくいのだ。居住可能な土地が限られた日本では「面」として土地を区切り、区切られた一面一面に住居やビルを配置していく、という方法だが、アメリカの場合、まず道を作り、起点から100番台,200番台,・・・とその道の終点に近づくにつれて数字が大きくなっていく。長い道だと10000番台、という住所だって存在する。
 このシステムのおかげでこちらの人は住所を聞けば大抵簡単にその場所に行くことが出来る。例えば8350 Independence Blvd., Charlotte, NCという住所があったとすれば、シャーロットの地図を買い、地図の一覧に載っているStreet Name IndexからIndependence Blvd.を探し、その道を見つけたら地図にはその道沿いに7000とか8000とか小さな数字が書かれている。これが番地の数字で、「この辺り一帯が8000番台ですよ」というしるしのようなものだ。だから、その辺りをうろうろすれば大抵行きたい店なり、家なりに行き当たることができる。日本では一般車にも付いていることが珍しくないカーナビゲーションシステムがアメリカであまり普及しないのはこういった住所の特定の単純さが影響しているのかもしれない。
 逆に日本は住所の最小単位は「区域名」であって「道」ではない。例えば「練馬区桜台2-4-19」という住所があったとして、地図ではまず練馬区という「面」で区切られ、その次の「桜台2丁目」というのもやはり「面」だ。東京都区分地図などで調べれば大抵練馬区桜台2丁目は簡単に探し出せるし、その下の単位である(やはりこれも「面」)「4番地」というのも割合簡単に判る。しかしその下の「19号」となると、市販されているような地図には主だった号が2,3個しか表示されておらず、「後はその区域を自分で歩いて探しなさいよ」ということになる。しかもこの「番地」や「号」の割り振られ方は全く恣意的で、パリの区域の区切り方のように「螺旋状に区の番号が大きくなっていく」というルールすらないように私には思える。
 これのおかげでこの8月に東京のある会社を初めて訪ねた際、非常な苛立ちを感じたのは言うまでもない。前述したように市販されている廉価版の地図では番地までしか特定できないから、地図を持ってうろうろ出来るのは番地までだ。あとは少しだけ書かれている号数を頼りにその区域をぐるぐる回って探すしかない。しかも号数は2の次に3が来るとは全く限らず、いきなり6に飛んだり、最悪の場合だと12とかになってしまう。勿論、区役所とかに置いてあるような正確な地図であれば一つ一つの番地が事細かに掲載されているから住所を聞けばすぐにも特定することが出来るのだが、悲しいかなそういった部類の地図はあまり携帯するには適していないし、第一価格が高すぎる。たった1回使うか否かの為にいちいちそんな詳細な地図を買う、というのもあまりにコストパフォーマンスが悪すぎる。結局私は廉価版の地図をたよりに歩き、会社に到着するのに殆どその区域を1周近くしてしまった(逆側から行けばすぐだったのだが、そう言うことすら地図からは読めない)。
 それでも東京はまだ何とか各行政区の地図が廉価版で出ているから探しやすいが、私の実家のような田舎だと、番地や号の区分はこれ以上に恣意的で、「これは住んでいる人以外には絶対に行き着くことが出来ないのではないか」と考え込んでしまうぐらい複雑だ。道にしても昔からの道を利用しているものだから、妙に曲がりくねったりしていて非常に分かりにくい。私の実家は私の家族が住んでいる家と、母の仕事場になっている小さな家(昔祖母が住んでいた家)が道を隔ててはす向かいにあるのだが、住んでいる家の方が53番地だとしたら、仕事場の方は道を挟んでいるだけだと言うのに127番地になってしまう。一方、私の近所の幼なじみが住んでいる家はというと、道が3本ぐらい離れていてそこまで行くのに2分ぐらいかかるというのに番地は63番地なのだ(一応プライバシーの保護の為にこれらの番地の数字は実感できる程度の範囲内で変えてあります。悪しからず)。昔からの土地であればそういった番地の振り分け方も何か意味があること、と無理矢理自分の中で納得させられるが、私の実家の場合、付近一帯は昭和40年代以降になって新興住宅地として造成された地域であり、意味もへったくれも存在しない。こういっためちゃくちゃな番地の割り振り方を見ていると日本でカーナビが普及するのもよく判る気がするのだ。

 話は180度変わるが、最近Li'l Bow Wowという13歳の少年ラッパーがやたらと売れている。13歳とは言うが、童顔で背も低いため、下手をすれば10歳ぐらいにしか見えない。その彼がマイクを持ってライムを刻む姿が最近MTVやBETでごく頻繁に見られるようになった。彼のアルバム"Beware of Dog"も順調な売れ行きを見せているらしい。13歳でラップと聞いて、もしかしなくても、と思ったらやはりプロデュースはJDことジャーメイン・デュプリだった。クリス・クロスといい、JDという男はホントにこいつショタコンなんじゃないのかと疑ってしまうほどローティーンばかりを好んで売り出している。NBAのアリーナにも時々顔を見せているらしいが、大抵13歳前後の変声期前の子供を4-5人引き連れている、とニックスのゲームにプレスで入っている方から教えて貰った。こいつ、自分が背が低いからって(マジで低い。140センチ台ぐらいしかなくて、マライア・キャリーと共演したビデオではマライアに抱きかかえられる映像があって笑ってしまった)、自分と同じ目線で話せる子供にしか興味がないんだろうか。それもかなり問題があると思うが。
 で、話をLi'l Bow Wowに戻すが、ラップに詳しい人の話に寄れば(WOGはTupac崇拝者に近いので他のMCのラップはかかってれば聞くが、詳しいことまで調べる気力はあまりない)彼は6歳の時からSnoop Doggy Doggのツアーに参加していて、Li'l Bow WowというMC NameもSnoopにつけてもらったのだそうだ。だから今よくかかっているLi'l Bow Wowの曲にもFeaturing Snoopが一曲あって、Snoopの横にLi'l Bow Wowが、という構図になっている(因みにその後ろにピンボケでJDがいる)。WOGとしてはギャングスタだった(まあ今もそうなのかもしれんが)頃のSnoopはかなり好きで、特にTupacと共演したTwo of Americaz most Wantedのビデオは「これぞギャングスタ」というステロタイプを2pacとともに見事に演じてくれて楽しかった(因みにあのビデオはTupacが監督したものらしい)。EastendとWestsideが過激なラップ合戦を繰り広げていた頃、Tupacの隣でDeath Rowの二大巨頭として指をWの形にして(Westsideを表す)"M***erf**ker"とちょっと人を小馬鹿にしたような態度でラップっていた、あのSnoopが、今ではLi'l Bow Wowの隣で保護者をやってる姿、というのをギャングスタのファンはどう見ているのだろうか。あれを見てWOGは「あああ、Snoopも所帯じみちゃって・・・。これじゃなんかパパだわ・・・」と一抹の寂しさを感じてしまったのだが。
 LL Cool Jも家庭を持ち、子供を持ってしまったら何だか昔の文字通りの無尽蔵の女好きで傲慢なところがちょっとなくなってしまったような気がする。そういうことを考えるに付け、Tupacは家庭も子供も持たず結婚もせずに死んでいってある意味良かったのでは、とも考えてしまう。いや、そりゃ、生きてりゃ生きてたであの最高に甘く伸びのある声でずっとラップが聴けるんだ、と無上の幸せを喜びますけどね。

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