旗の問題 その2

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(その1からの続き)

 ここでどうしても思い出されるのは日本の旗の問題である。果たして日本は日の丸君が代を法制化してまで公共の場に浸透させる必要があったのだろうか。そうする事によって、精神的に打撃を受ける人々が全くいないとでも政府は思ったのだろうか。
 WOGはここ合衆国では立派なマイノリティである。もちろん、女性と言うことで日本でも立派なマイノリティであったが(特に日本の大学の学問研究分野では女性は見事にマイノリティである)ここに来て、マイノリティとして生きることがどれだけシビアなことかを日々思い知らされている。言葉の不自由なアジア人ということであからさまに差別的な扱いをうけたことも少なからずある。だから、これよりも人種偏見の強い日本で暮らす外国籍の人々に関しては察して余りあるものがある。そして、自分が日本にいた時にこの問題に関していかに無神経であったかを思い知らされた。知識としては知っていても、実際にその人の立場になるということが事実上不可能に近かったからだ。
 第二次大戦時に日本によって侵略され、今でも経済的に収奪された立場にあるアジアの人々は日本の旗を見てどう思っているのだろうか。そして心ない某東京都知事による「三国人」だの「ゲットー」だのという発言をどう思っているのだろうか。
 それ以上にWOGが問題視するのは君が代の性格付けについてである。あの歌は元々は恋歌であり、「君」とは恋人を歌った歌である。それが明治時代に国歌になって「君」は天皇を指すものになり、その「君」の下で戦争という名の下にアジアへの侵略を行った。敗戦後も「君が代」は残った。しかし、「君が代」の「君」というのは我々日本国民を指したものだと教わらなかったか?そして我々は民主国家に生きる国民として末永く生きていくという主張を表しているのではなかったのか?
 それを、何故、今、「君が代」の「君」は天皇を指したものであるとする必要があるのか。どう考えてもこれはあの悪しき戦争や抑圧的な家父長制を意図的に復権させるように右派の政治屋が仕組んだ罠としか思えない。
 WOGの立場としては、天皇の存在というのは確かに敗戦直後は必要だったと思う。もし、日本の天皇を戦犯として連合国が殺してしまっていたら、たぶん日本国民はそれこそ何を心のよりどころとして暮らしていいかわからなかっただろう。それほど戦時中の天皇は強烈な存在だった。そして何よりも日本の天皇は特殊な性格を保ってきた。少なくとも推古天皇辺り、大体西暦600年前後から、はっきりとその系統を確認できる家系なんていうのは全世界的に見ても数える程しかいまい。そして天皇は大体その頃から現在までの1400年間の間で、自ら政権を担ってきたのは半分以下に過ぎない(摂関家の姻戚政治を入れるとおそらく5分の2ほどになってしまうのではないか)。日本の歴史上天皇は「敬して遠ざける」という形が長く続いたと言ってもいいだろう。そのような精神風土の中での「象徴天皇制」という措置は、いくら日本国憲法が占領軍の指導下に作られたものであるとは言え、なかなかうまい避難だったと思う。天皇というとどうしても絶対的な存在を意識してしまいがちだが、それは明治以降の帝国政府によるリテラシー(読み書き能力)支配のからくりだ。日本の平安期の王朝文学や伝統的な和歌を研究するものにとって、天皇に対する意識が他の人よりも強いのと同じような気がWOGにはする。
 それをどうしてこの時期に「日本は天皇中心の神の国だ」と総理大臣自らが言う必要があるのか。確かに森氏は元々神道の協会とは深く関わってきた人物であるが、総理大臣になった今、彼の発言は既に一個人の、一代議士の発言とは見なされないことは彼自身充分知っているはずである。下手をすればその発言が「日本を代表する発言」と取られてしまうことだって十分にあり得る。天皇は確かにいてもよい(あるいは年老いた人にとってはいなくてはならない)存在だが、それを「中心」と称することで、どれだけの(特に敗戦直後の)人々の精神的作業を無に帰してしまうことになるか、彼は考えたことがあるだろうか。
 同じことが某東京都知事にも言える。彼が東京の都市部に住む外国人のことを「三国人」と公的なインタビューで発言したことは、はっきり言って同じ日本人として慚愧に堪えない。そう発言することによって図らずも彼はイギリスの記者に「日本人は差別問題に関して全く無知である」という思いこみを与えてしまったことになるからだ(まぁ、その半分位は正解で、日本ほど差別に関して無関心で無知な人間が多いところをWOGは他に知らない)。聞くところによると彼が東京都知事になってから都内の各公立教育機関では日の丸君が代が強制されるようになったという。それを巡って各学校では反対派と学校側が激しく争い、式典を拒否する生徒や父兄も出てきているそうだ。しかしながら、こうした動きは彼が東京都知事に就任した時点である程度予想の出来たことだ。都民の多数が彼を東京都知事に選んだ時点で既に都民は日の丸君が代に対して絶対的に服従せねばならないということを宣言したも同然だったのだ。そして更に問題なのは、都民の中で彼を「タカ派な発言が目立つ右翼政治家」としてではなく、「石原裕次郎の兄で、直木賞作家」という一見ハンサムなイメージで選んだ人々が少なからずいることだ。
 前にも書いたかも知れないが、これは都知事選の投票日のことだった。WOGは投票を済ませた後、友人との待ち合わせで公衆電話から友人宅に電話をかけていた。すぐ隣の公衆電話には40代前半かと思われる女性が立って、やはり友人らしき人に電話をかけていた。聞き耳をそばだてながら聞いていると、その女性は都知事選について喋っていた。
「ねえねえ、今日の投票、誰に投票したの?・・・え?私?やあねえ、慎太郎さんに決まってるじゃないの〜。やっぱり慎太郎さんよ〜」
 ちょっとまてアンタ、慎太郎さんに投票するのはいいが、慎太郎さんの「どこが」よくて「どんな政策を支持して」投票したんだ。その口調では女性週刊誌の人気投票と何ら変わるところがないじゃないかい。
 まあ、でも彼女の場合、まだWOG的には許せる面もある。その時は電話口だったから急いでいてそんなこと喋ってる暇もなかったかもしれないし、話していた友人が気心の知れた相手で、彼女がしっかりした考えをもって投票したことをちゃんと判っているからわざわざ喋る必要がなかったのかもしれない(でも、WOG的にはどう考えてもあの口調は何も深いことを考えてなかったようにも思えるが・・・)。そして何よりも彼女は都民としての意志表示をすべく、ちゃんと投票所に行ったのだ。彼女は都民一人一人に与えられた権利をちゃんと行使したのだ。
 最も問題なのは、投票にも行かずに都知事を間接的に選んでしまった人達なのではないだろうか。彼等は自分たちに「差別問題に関して無知」とレッテルを付けられることにすら無関心なように、WOGには見えて仕方がない。いいんかあんたら、そんなんで。

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