WWJD

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 ここ1週間少しばかり忙しかったので更新をさぼっていたらいつの間にか10日以上日記の更新をサボってしまっていた・・・(汗)やばいやばい。しかし、これから後1ヶ月間は怒濤のように課題が控える身なので更に更新頻度が遅くなること必至。ゴールデンウィークの終わりまではこんな感じになることをお許しあれ。
 しかし、「誰も見ねーだろ」と思って適当にバスケページのサイドとして日記を始めたのが、何故か今や4000アクセスも超えてしまい作った当人の身としては「こんな物好きなページのどこがそーもいいんだか・・・」と焦ってます。当人の知らない間に「アメリカ在住者のホームページ」とかいうHPにリンクされてるし。いや、別に嫌だというわけではないんだけど、せめてリンクの際には「リンクしましたよ!」と一言でもいいから知らせて欲しいもんなんですがねぇ。
 そういえば更新がされてない間にここシャーロットでは桜が咲き始めました。今は満開といったところかな。2週間ほど前は道ばたに植えてある木立の白い花(桜と違って、比較的上の方で枝分かれしてる長細い木なんですが、名前が判らない・・・。とりあえずWOGはこっちに来て初めて見た種類の木です)が一斉に咲いていた光景はとても美しかったです。残念ながらその花はこの前の驟雨で一気に散ってしまい、今は新緑が美しいです。

 花の木の 手招きせるや 雙稚葉(ふたわかば)

 学校に行く途中の桜の木の下で勢いよくたくさんの双葉が芽吹いていて、まるで「ほら、春だよ。芽吹いてごらん」と桜に手招きされてるみたいだったんです。なんかこう、うたごころ(詩心)を刺激される一瞬でした。(しかし「雙」の字が出なくてかなり苦労した・・・^_^;;)

 閑話休題(こんなとこまで四方山話を続ける自分って・・・)。WOGは趣味の関係上日本の方々が作られるバスケットページをよく覗くのですが、そこで得た情報によると最近は「WWJD」のミサンガ系腕バンド(何て言ったらいいんだろうか・・・)が日本で結構な人気になっているそうで、スポーツ系グッズの店にもよくおいてあるようですね。そこでは「WWJD」はどうやら「自分の好きなNBA選手がゲーム中にしていてかっこいいから自分も買った」とかいうコンテクストで語られることが多いようです。日本人はハヤリモノ好きだから仕方ないと言ってしまえばそれまでですが、さてこういう人達は本当に「WWJD」の意味を理解して買ったり使ったりしているのでしょうか。
 「WWJD」の意味は"What Would Jesus Do?"の頭文字を取ったものです。意味的には「主イエスならばどのようにしたもうか?」と解釈できます。つまり、キリスト教徒が結構な数を占めるアメリカ人にとっては自分の精神的なよりどころであり支配者でもあるイエス・キリストがもし自分の立場に立ったとしたならば、こうするであろうということを常に想定して我々は正しく行動しなければならない、という誓い(もしくは教訓)なわけです。だからキリスト教徒を信ずるアメリカ人にとって「WWJD」を身にまとうということは、常に神の視線を感じ、神の前で恥じるような行為を慎む、一つの「たつき」を保っているということを意味しているわけです。
 ひるがえって日本人が「WWJD」をつけることはどうでしょうか。大部分の日本人は自分の存在の中に「絶対的な神の視線」というのを持ちません。というより、そういう「支配的な神」を「気味の悪いもの」として異端視すらしてしまう傾向があります。それもこれも、日本人にとっては神は「日頃から信心深くしてなくてもその辺にいてくれるもの」であり、アメリカ人の中での神のように「常に自分を見て、守りつつ支配してくれるもの」ではないからです。キリスト教の神やイエス、ユダヤ教のヤーヴェ、イスラム教のアッラーなどと違い、一個の絶対的な神が存在しない日本人の精神にとって「WWJD」のような宣言は果たして身につけるに値するものなんでしょうか。まぁ、NBAファンというのは概して若い人が多いので、その辺の経緯をよく理解せずに「流行り」だけに流されてしまいがちな傾向を持っているのは否定は出来ませんが、それにしたって、全てのNBA選手が「WWJD」を身につけているわけではありません。NBA選手でもアキーム・オラジュワンやシャリーフ・アブドゥル=ラヒームなどイスラム教徒は多くいます。少し注意して見れば彼等が「WWJD」を身につけていないことぐらいはすぐ判ります。
 昔、WOGがよく尋ねさせて貰っているa9nさんの掲示板である方が書かれていた記事が印象に残っています。それは昔スパイク・リー監督の「マルコムX」が日本で公開された頃、「マルコムX」のグッズが一時的に流行になったことがあった時、ただ「流行だから」といって着て歩いている日本人に向かって、アフリカン・アメリカンらしい男の人が「お前らは何も判ってないくせに、そんなものを着るんじゃねぇ!」と激怒し、同行していた友人らしいアメリカ人に諫められていた、といった内容でした。言われた方の日本人の若い男性は英語が判らなかったらしく、きょとんとしていたそうです。これはいかにも日本人の無知を曝しているエピソードとしてWOGの印象に残りました。
 アフリカン・アメリカンにとってはマルコムXというのはキング牧師以上に影響力の強い存在で、彼の思想や生き様は今でも多くの人々に共感され、尊敬されています。キング牧師と和解する前のマルコムはブラック・モズレムの急先鋒として「黒人第一主義」を打ち出し、徹底的に白人を非難しました。当時の、なし崩し的に「奴隷制度的支配関係図式」を持続させていたい為政者の側としては、マルコムの存在は脅威そのものでした。黒人が待遇に関するちょっとした不満を言っただけで陰湿なリンチが行われていた当時、反白人運動を積極的に展開したマルコムの勇気と大胆さはアフリカン・アメリカンの崇拝の的であり続けてきたのです。それなのに、その日本人の若者はアフリカン・アメリカンの歴史を全く理解していないどころか、「流行りだから」ということで一つのファッションに貶めてしまっている。アフリカン・アメリカンの男性が怒ったのも当然だとWOGなどは思います。
 どんなものにだって、歴史や思想が隠されているのです。日本人はその辺を「流行りだから」の合い言葉で全て柔らかいベールに包んでしまう。思考しないことはある意味精神的に楽かもしれません。しかし、そこからはより深い相互理解は決して生まれません。しかし若い人達の「思考しない病」は彼等一人の責任ではありません。思考しなくても暗記するだけでよいような教育制度を是としてしまっている日本そのものが何か間違っているような気がしてなりません。歴史を知らないから、「君が代」の「君」は「天皇」を指すという法案が反対も少なく通ってしまい、全国の公立学校でこの歌がさも当然の如く歌われ日の丸が掲揚されてしまうのではないでしょうか。少し考えればこの歌と旗が60-70年前にはどういう意味を持っていたか位すぐ判るんですけどね。

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